2011年1月14日金曜日

Music_Stevie Salas_James Burton_George Harrison

スティーヴィー・サラス(Stevie Salas、1964年11月17日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身のギタリスト、歌手。ネイティヴ・アメリカンの血を引いている。
ブルースやクラシック音楽をルーツとするギタリストが人気を集めていた1980年代末に、ファンクやサイケデリックを強く押し出したメタリックなスタイルが注目を集め、セッション・ギタリストとして頭角を現した。1990年代にソロ活動を始めてから現在に至るまで根強い人気を持つ。
地元でデス・キッドというバンドを結成してシングルを2枚出すものの芽が出ず、ロサンゼルスへ移る。家賃が払えず、ホームレスになってレコーディング・スタジオに寝泊まりしていた22歳の時、ジョージ・クリントンに見出され、アルバム『R&B Skeletons in the Closet』(1986)でギターをプレイして世に出た。ブーツィー・コリンズ『What's Bootsy Doin'?』(1988)、ワズ・(ノット・ワズ)『What Up, Dog』(1988)へのゲスト参加、アンディ・テイラーやロッド・スチュワートとのツアーへの参加など、セッションやハウス・バンドの一員としてキャリアを積む。

ジェームズ・バートン(James Burton, 1939年8月21日 - )はアメリカのギタリスト。ルイジアナ州のミンデンの生まれ。
幼い頃からギターに触れ、ルイジアナ・ヘイライドを目指すようになる。
10代中ごろからプロのギタリストして活動を始め、57年にデール・ホーキンスが発表した「スージーQ」で一躍注目される。この時、まだ15歳であった。特徴的なギター・リフもジェームズが考えたもので、ほとんどの部分をバートンが作曲したと言ってもよい。
その後、ボブ・ルーマンと組んだが、その公演でリッキー・ネルソンの目に留まり、ネルソンのバンドで活躍する。ネルソン宅に1年間ほど居候したこともあるほど個人的にも仲がよかったが、次第に「ネルソンばっかりは嫌だ」として、バンドを脱退。その代わりにジョー・オズボーンを後任として紹介した。

ジョージ・ハリスン (George Harrison, MBE、1943年2月25日- 2001年11月29日) は、イギリス・リヴァプール出身のロック・ミュージシャン、映画プロデューサー。1960年代に、ビートルズのメンバーとして世界的な人気を博した後、グループ解散後はソロ・アーティストとして活動した。ソロ活動では、「マイ・スウィート・ロード」や「ギヴ・ミー・ラヴ」「セット・オン・ユー」などをヒットさせたほか、『オール・シングス・マスト・パス』(1970年)は、ロック・アルバムの金字塔として高く評価されている。

ジョージ・ハリスン (1974年)
スライドギターの名手としても知られる。
2001年に、肺癌と脳腫瘍のため逝去。1988年にビートルズのメンバーとして、2004年に個人としてロックの殿堂入りしている。現在、「Sir」の称号を故人として初めて授与するかどうか議論されている。
リヴァプールのアーノルド・グローブ12番地で生まれ育った。父親は、バス運転手だった。ダブディル・ロード幼児学校、ダブディル小学校に通い、リヴァプール・インスティテュートに入学した。友人達は彼を「独りぼっちで隅に座っているようだ」と評している。
1950年代の中頃に、同校でポール・マッカートニーと出会う。ポールの紹介で、ジョン・レノンらのバンド「クオリーメン」(ビートルズの前身)に参加。バンド加入のきっかけとなったのは、バス2階で行われた即席オーディションにおいて、当時高等テクニックを要した「ローンチー」というギターインストゥルメンタル曲を完璧に弾いたことが、リーダーであるレノンに認められたからだと言われている(彼の家をバンドに貸したからという説もある)。

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